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砧村散歩~砧村のお話

「砧村散歩」では、この町の良いところや、砧村の昔のお話などを掲載しています。

今回は「砧」と「砧村」の地名のお話です。

〇世田谷区砧の「砧」とは?

「砧」とは、昔、衣(きぬ)や麻(あさ)を作るとき、たたいてやわらかくしたり、つやを出したりする際に使った「杵(きね)のような道具」と「石の台でできた道具」を「きぬいた(衣板)」と呼び、いつしか「きぬいた」が「きぬた」になったと言われています。

これが「きぬた」です。砧町町会の理事宅で保管していたものです。実際は布をたたいていたものではなく、藁をたたくのに使っていたようです。現在は山野小学校にあり、子どもたちが自由に見ることができます。

〇なぜ「砧総合支所」なの?

世田谷区では、平成3年より、5つの総合支所制による地域行政がスタートしました。5地域とは、世田谷地域、北沢地域、玉川地域、烏山地域、そして「砧地域」です。砧地域の地域行政の中心である「砧総合支所」は「世田谷区成城」にあります。

世田谷区は5つの総合支所に分かれています。

では、なぜ「成城地域」「成城総合支所」ではないのか、と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

その理由は明治時代までさかのぼります。明治初期の頃、この辺りは「神奈川県多摩郡」に属していました。明治22年に、喜多見村、宇奈根村、鎌田村、岡本村、大蔵村の5つが「五ケ村連合村」となることが決まり、新しい村の名前を付けるために地域の有識者たちが集まり相談をしたそうです。その際に、古くからこの地域にあってなじみのある道具である「砧」を村の名前にすることが決まりました。これが「砧村」の誕生です。

そのあと、この「砧村」は一度は無くなって、また復活するという数奇な運命をたどります。詳しくは「砧のひびき125号 耳をすませば砧の音~砧村のお話~」をご覧ください。

なぜ「砧地域」「砧総合支所」なのか。それは、もともと喜多見も(当時は成城も含む)、宇奈根、鎌田、岡本、大蔵も、みんな「砧村」だったからなのです。

「砧」という地名は、日本広しと言えども「ここだけ」だそうです。

「世田谷区砧」の住人であることが、ちょっと誇らしく思えますね。

さらにくわしく知りたい方はこちらから。

砧のひびき125号耳をすませば砧の音~砧村のお話~

昭和7年頃の砧村とその周辺。現在の世田谷区砧は、当時は「東京府北多摩郡砧村大字大蔵」です。